上杭進撃計画 「上杭の歌」②ー2

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山の上の森の中から、数千人の紅軍が見下ろしていたのに、敵の方はまったく気がついていなかった。

敵の兵士は山の麓の川でのんびり水浴びをしたり、服を洗濯したり、川岸に寝そべっていた。

彼らは農民や紅軍の兵士たちが大きな竹を切り出してはしごを作り、その夜城壁をよじ登って彼らを襲撃する用意をしていたことなど想像もしなかった。


宵闇が立ち込めてくると、上杭はまるでおとぎ話の国のようになった。

上杭には発電所があり、市の支配者と守備隊は城壁のてっぺんにぐるりと電燈をぶら下げていたからだった。

彼らはこれらの電燈で夜間城壁の上を巡察する哨兵が、城壁に近づくあらゆる敵を発見できると信じていた。

しかし、実際は電燈は城壁の上の哨兵だけを照らし出していたにすぎなかった。

だから、赤衛隊が闇に紛れて川を渡り、馬蹄型の地帯にはい上がり、城壁の上の電燈を一つずつ射ちくだくことができたのである。


月があがってから、作戦計画が実行された。

農民たちは小舟を集めてきて、市をとりまく馬蹄型地帯へ南側から川を渡ることができた。

同時に朱徳はほかの部隊と赤衛隊を率いて、北側の渡船場で急いだ。

そこにはすでに農民たちが、川の中に舟を一隻ずつ横に並べ、河床に長い棒をうちこんで、これに繋いで流されないようにして、その上に板を並べてにわか作りの橋をこしらえていたので、部隊はただちに渡河することができた。


渡河すると、数人のものが臼砲をもって西門の真ん前の低い丘に向かった。
そこから臼砲を射ちこんで大騒ぎを起こす計画だった。

真夜中に朱徳は馬蹄型地帯の内側にある北門前の低い丘に司令部を置いた。

部隊と赤衛隊ははしごをかついだ農民たちと城壁の北側と東側をぐるりと取り囲んだ。

何かの行き違いから、攻撃が始まっても林彪はまだ南門に来ていなかった。


狙撃兵が城壁上の電燈を射ち落として、西側にいる臼砲隊に合図を与えた。

敵の哨兵はいつものいやがらせ行為と思い、慣れてしまっていて、掩蔽物のかげに隠れただけだった。

ところが、続いて臼砲が西門を砲撃しはじめたので、城内にいた敵の旅団の全兵力が西門地帯に押しかけた。

農民たちはたちまち城壁に殺到して、はしごをかけた。

まず紅軍の部隊と赤衛隊が、つづいて朱徳と農民たちが途切れることなくよじ登り、城内の路上に出ていった。


戦闘は、朱徳が予想していたほど、なまやさしいものではなかった。

完全に退路をたたれた敵の旅団と、武装した地主どもとは、あくる日の昼まで戦いつづけた。
昼になって、ようやく敵軍全部が武装解除され、地主どもは、囚人が釈放されたばかりの、中世期的な不潔な監獄に収容された。


あまりにも残虐な取り扱いを受けたため、歩くこともできなくなった政治犯を紅軍の兵士が運び出した。

口をきく力もなくなっていたものもいた。


まだマラリヤを患っていた毛沢東は、担架にのって城内へ運ばれてきた。

彼は病床からあらゆる政治工作、人民の諸組織の復活や上杭ソビエトの組織などを指図した。


周辺の村々から農民たちがどっと城内にくりこんで来て、この勝利を祝い、土地の分配に加わり、憎悪してきた地主どもの裁判に参加した。


朱将軍は、口もとをゆがめながら、これらの裁判を回想した。


農民たちは地主の前に歩みよって、「息子はどこだ、おれの兄弟はどこだ、おれの親父はどこだ」と叫ぶが、一言も答えないので、とうとう平手で地主どもを殴りだした。

秩序を維持するために控えていた赤衛隊も、捕虜を保護せよという指揮官の命令に服従することを拒んだほどであった。



紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋


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by far-east2040 | 2017-04-07 17:28 | 朱徳の半生(改編後削除予定)