毛沢東重態 「上杭の歌」①ー9

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福建省の西南部や江西省の南部では人民は依然として闘い続けていたが、非常に苦しい時代に入ってきていた。

主要な町や都市はすべて敵に占領され、人々は村々に逃げ伸びて、数少ない貴重な文書は埋めて隠さなければならなかった。

そして数かぎりなく待ち伏せをしては力の限り戦ったのであった。


この頃紅軍は二つに分かれて戦うことになった。

1つは毛沢東の指揮下で、西部福建に残っている敵軍を悩ませる。

他の半分は朱徳が指揮して一大牽制作戦を行い、国民党の領域内でできるだけ深く海岸線の近くまで侵入して、敵の補給基地を切断し、少なくとも福建軍だけは、ソビエト基地から遠くへ追い払おうと務めた。


夜間に行軍しては引き返し、追跡してくる敵を待ち伏せし、無数の小さな戦闘で敵軍に打撃を加えながら、朱徳は海岸都市のショウ州に向かって急進激を続けた。


「紅匪の頭目朱徳は、福建じゅうを暴れまわっている。
彼は農民を虐殺し、放火、暴行のかぎりをつくしている」と、大都市の国民党系の新聞は、わめきたてていたが、その朱徳軍は、農民に案内されて、夜どおし行動し、昼は村々にかくれていたのである。


都市の支配者たちや、福建省を自分たちの勢力圏だと主張していた日本は、蒋介石に向かって「紅匪を掃討できるのか、それともおまえに代わって自分たちがやらないといけないのか」と詰め寄った。

蒋介石はもう少し時間をくれといって、列強にもっとも多くの武器弾薬を援助してくれるよう嘆願して受け入れられた。


朱徳は1929年の南昌蜂起の記念日にあたる8月1日のことを回想した。

味方の2倍ほどの敵軍と激戦を交えたあと、朱徳の部隊は両岸の木から木へ渡した綱に両手でぶら下がって、急流を超えた。

日あたりのいい牧場で一休みしていると、草を食べていた牛が物悲しげな目で驚いたように彼らを見つめていた。

その同じ場所で連隊司令リュウ・アン・クンが休んでいる兵士たちにヨーロッパにおけるファシズムの勃興について話したのであった。


リュウは少し前にヨーロッパから帰国したばかりで、しかもその年も暮れないうちに戦死してしまった。

リュウはこのように話した。

イタリアのファシズムはムッソリーニの指導のもと、ついに権力を握った。

国際銀行家どもはドイツ資本主義を支えるためにドイツ共和国を滅ぼそうとしている。

第二の世界大戦が計画されている。

世界の労働者階級が組織され、統一されないかぎり、かつ中国人民が蒋介石独裁政権を打倒し、中国を平和と進歩の砦に変えてしまわないかぎり、この戦争を押しとどめることはできないだろうと。


その年の9月1日に朱徳は福建西部のソビエト区に帰ってきていた。

この地区から福建省軍はすでに退散していて、広東から北上した敵軍は毛沢東の絶え間無い攻撃にすっかり困憊し、撤退してしまっていた。


その頃はマラリヤが猛威をふるって、戦争よりも大きい犠牲者を出した年であった。

ついに毛沢東もマラリヤにかかって重態に陥ってしまった。

そこでまだ原始的な組織でしかなかった紅軍の医療隊は、隊員の一人に命じて敵の戦線を突破してキニーネを買いに上海へ行かせた。

彼は無事に使命を果して戻って来たので、もう一度行かされた。

しかし、2回目は途中で捕まり首を切られてしまったので、これ以上人命をおろそかにしないことになった。


とにかく毛沢東はかろうじて命びろいをした。

汀州の英国バプテスト伝道団出身のクリスチャンで、紅軍に加わり医療隊の隊長になっていたネルソン・フー博士は、生と死の間をさまよっていた毛沢東を診療するために定期的に山の上の村まで登ってきてくれたのであった。


朱徳は依然として紅軍を指揮して、敵の諸部隊を汀州の城壁の中に閉じ込めている間に、それまでの数週間に失った多くのほかの町を攻撃して占領した。

43歳の夏をすごしていた頃だったが、彼はマラリヤにかからなかったし、そもそも病苦もどんなものか知らなかった。


スメドレーはネルソン・フー博士にマラリヤの蚊でさえ、朱将軍に歯が立たなかった理由を訊いてみたことがあった。


「だれがわかるものですか? 
あの人は生れつき、まったく頑強にできているんですよ。
おぼえていますが、彼は本綿の布を一枚もっていて、夜、寝るときは、それをかぶるだけです。蚊帳なんか、ぜんぜんもっていません。
私は、ときどき彼に会ったのですが、ちょっと話をするひまがあっても、私がどうしてクリスチャンになったのか、基督教とはどういうものなんか、ということをさかんに知りたがるのでした。
あの人は、何でも興味をもっています。
私の好みからいうと、彼はすこし荒削りですが、彼のユーモアのセンスは、農民や兵士たちに大うけですよ。
そして、いつでも、楽観的でした。
だが、もちろん、これは、彼がマラリヤにかからなかった理由の説明にはなりませんがね!」



紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋


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by far-east2040 | 2017-04-04 21:07 | 朱徳の半生(改編後削除予定)