ハン・スーイン著『悲傷の樹』


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市民団体が運営していたアジア図書館で働いていたときに出会い、一番いい影響を受けた本である。

この本ぐらいの知的影響を受けたのは、朱徳の半生を描いたアグネス・スメドレー著『偉大なる道』だった。

こちらは天井に近い、棚の一番上に並べられていたこともあって、いつか読みたいと眺めるだけでとうとう読む機会がなかった。

子育てが落ち着いた頃だろうか、何がきっかけで読み始めたのか覚えていないが、読んでしまうとすっかり朱徳の人間性にはまってしまった。

大同小異のもと、病んだ自国を救おうとする人間の活動や情熱が好きだし、アグネス・スメドレーやハン・スーインのように文筆活動をしたかったんだと思う。

人生はいろいろなことをするには短すぎる。

なお、ハン・スーインの父方の祖母は、太平天国の乱で有名な曽国藩の親友であり側近の娘だった。

彼女の先祖は、太平天国の乱ではみな体制側の人間として戦った勝者だった。



以下の文は2010年7月16日に公開したもの。

                                     

ハン・スーイン著『自伝的中国現代史シリーズ』は全5巻で1冊1冊読み応えのある本である。

なかでも第1巻の『悲傷の樹』は昭和45年10月発行で、私が一番好きな巻。

かんたんに言えば、彼女の家の歴史を横糸にして激動する現代までの中国の歴史を綴った大河ドラマである。

欧米列強の侵略と軍閥の圧制に苦しむ祖国中国の歴史を映し出しながら、その中で成長していく彼女自身も描き出していく。

そして彼女のような存在、つまりベルギー人の母と中国人の父をもつものが、どういう歴史的背景のもとに生まれたのかも明らかにしていく。

すでに作家として地位を確立したあとに、ライフワークとしてこの大作に着手している。

中国の父方の縁故や友人知人をたずね、またベルギーの母方の実家や親族を訪問して聞き取りや資料を集め、関係文書や記録を蒐集したことは書かれている内容の濃密さから充分伝わってくる。
その結果、とても魅力的な時代の証言に出来上がっている。
この本で私は、中国近現代史に興味を持ち、この基点にしていろいろな中国関連の文献に触れたように思う。
 
彼女は、家の歴史を明らかにしていく中で「客家(ハッカ)」出身であることに触れていく。

いわば封建社会の中での中国の巨大な被差別グループである。

彼女は記録書で辿れる限り過去にさかのぼって「客家」としての父系の家のルーツをたどっていく。
 
私が「東洋のユダヤ人」とも表現される「客家(ハッカ)」の歴史に関心をもったのは、彼女のこの著作に負うている。

同じ漢民族で、中国大陸内を移動することで形成された集団なのだが、人口規模も土地面積もヨーロッパの一国に相当し、スケールが大きい。

アジア図書館にも「客家」に関する書物だけでも、かなり蒐集されている。
また彼女自身の家庭の中でのポジションや父と母との関係に私自身と重なるものを見出し、一人の女性史としても興味深いものだった。
 
ヨーロッパから中国に嫁としてやってきたベルギー人の母も、「こんなはずじゃなかった」という失意の日々を繰り返す。

そんな母親と思春期をむかえた彼女は家庭の中でぶつかる。

外ではユーラシアンとして奇異の目で見られ、当時の医学書を開くとユーラシアンのことを「ばけもの」と書かれていることを知り、心の中で悲鳴をあげる。

当時のたいていの混血の中国人は、「差別」や「不利益」を逃れるように非中国人として生きることを選んでいった。

彼女の兄や妹たちがそうだった。

映画「慕情」の中でもそのことはよく描かれてる。
 
だが、彼女はあえて中国人の道を選んでいく。

さらに、彼女のような特権階級出身者にとっては、新しい中国へ変わっていこうとする、受け入れがたい「変化」を理性的に受け入れていく。

若い頃に出会った思い出の本を問われれば、迷わずこの本を挙げる。



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by far-east2040 | 2016-07-08 22:38 | 生き方・友情……