日本料理の独自性

f0364260_19125103.jpg


昔むかし、マレーシアの若い女性留学生と食文化の違いについて話していて、

「わたしは韓国人と台湾人とは結婚できる」

というので、理由を聞くと

「食べるものが似てる」といった。

「なるほどな」と思ったものだ。


これは食生活だけに限った世間話で、実際の結婚となれば、イスラム教徒以外との結婚はかなりむずかしいと思う。

多分、マレーシアではマレー系=イスラム教徒=イスラム教徒以外の結婚は禁止となっていると思う。今は違うのかしら?

実際マレー系の男性と結婚するために、イスラム教徒になるための学習プロセスを経て無事に結婚した日本人女性を知っている。

で、話を戻すと、あくまでも傾向としていうのだが、日本料理にはとうがらしの「辛味」がないということで、アジア全般を見渡して特長になっているようには感じる。

にんにくも伝統食の中で日本ほど使われない国はアジアでは珍しい。

あくまでも食文化の違いであって、優劣を語っているのではない。


私は今野菜を栽培する生活を持っているが、周りを見渡すとにんにくはたいていの人が栽培しているし、ホームセンターでも種球はシーズンになるとたくさん売られている。

にんにくは日本では避けられていた野菜の1つだったと記憶しているのだが、いつから普及してきたのかなと思っている。

中華料理の普及? それともイタリア料理のブームがあったらしいので、そのイタリア料理の受容からかな?


ネットでよくマレーシアなど東南アジアの庶民的な料理が紹介されているのを見ていると、どれも美味しそうだなと思う。

麺やご飯、チキンの上にかかる辛そうなタレがたまらない感じ。

その料理は日本以外のアジアのどこの国の伝統食にでも入っていけるというか、馴染んでいける親和性というものを感じる。

つまり、日本以外はみな似てる感じがする。

でも、タイのナンプラー、ベトナムのニョクマム、東北地方の魚醤は似ているらしいので、いろいろ例外がありそうだけど、日本の伝統食のアジアの中での独自性は際立っていると思う。

韓国にいる親族で日本でたびたび日本料理を食べた叔母がいるのだが、「日本料理は味がない」ということを不思議そうに語るのを何度か聞いた。

さらに「お皿にちょっとしか載ってない」と指先で「ちょっと」を表現するしぐさがおかしかった。
私にもう少し韓国語能力があれば、日本料理が持つ美学を多少は語ることができたのだが。


確かに韓国料理は辛味たっぷりで、お皿にしっかり盛られることが多いように感じる。

ドラマ『チャングムの誓い』を観ていたとき、宮廷料理として出される一人前の量が多すぎるので、残り物の行方をあれこれ考えたことがある。

人間の食べる量はさほど変わらないはず。

祭祀の際、あっさりして見た目もかわいいチジミを見たことがあるが、そのままでは食べず、やはりこってりした辛味タレをつけて食べていた。
韓国料理を色で表現すれば、とうがらしの色で、日本料理はおすましのようなうすいしょうゆ色かな。素材そのものの色合いを大事にしている感じがする。

私自身は韓国料理を味わう舌を持ち合わせていないので、日本のどこにも根がない、こってりしたしょうゆ味が好きになり、加齢とともにますます和食が好きになってきた。

JAPANESEKOREANの庶民の食生活の違いの1つは、KOREANは牛肉のおいしい食べ方を伝統的に知っていることだと思う。

最近、その肉食文化はモンゴル帝国が高麗という国を一時支配していた時に伝わっただろうという事実を知った。合っているように思う。

だから体格についていえば、肉食の伝統があるKOREANの方が骨格がしっかりしているように感じている。もちろん一般論として。


在日文化としてホルモン焼きとか焼肉はよく知られている。

これは生活の貧しさから日本社会から見向きもされず捨てるような部位を見つけて生み出した料理と思っていた時期があったが、そうではない。

KOREANは母から娘に牛肉のすべての部位を美味しく食べる方法が伝えられていたからだ。


伝統的な日本料理は繊細な美意識を表現する巧みさがなければ、外国で正確に語るのはむずかしいように思う。



[PR]
by far-east2040 | 2016-09-07 19:21 | 文化

f0364260_20582292.jpg


マレーシアの国語であるマレー語クラスの講師になっていただいた方は二人記憶しているが、偶然どちらも女性の方だった。言語的にはほとんど同じインドネシア語の講師がみな男性だったこともあって、今でもマレーシアには女性のイメージを持ってしまうのが困りもの。
 
マレーシアで大学卒業後さらにスキルアップするために来日したRさんは、ずっとベールで「尼さん」のように髪の毛を隠しておられた。時にはベールではなくて、毛糸の帽子をすっぽりかぶっていた。つまりイスラム教圏内の慣習を日本でも工夫して実践しておられたというわけである。外交的な性格で体型もふっくらして、初対面ですぐ好きになるタイプとお見受けした。

こんな文章を書いていると、ますますマレーシアに行って、この女性ともう一度会ってみたい気持ちが募る。私は当時に比べたら、肩の荷が軽くなりすっかり抜け殻のようになってしまったが、彼女はひょっとしたら政府関係の仕事で活躍されているかも知れない。庶民的で器の大きい頼もしい女性だった。

イスラム教では一夫多妻制で男性は4人の女性を娶ることができるのだが、なんと彼女は第二夫人だった。このお話はまた別の機会に。


彼女は当然ベール姿で電車に乗ることもあり、ある年配の男性乗客が近づいてきて、尼さんと間違えたのか、手を合わせて頭を下げていったことがあるというエピソードをおもしろおかしく語っていた。

一度アジア図書館の会員向けの会報に顔写真が小さく載ったことがあった。電車の中で男性が一人近づいてきて、「会報であなたのことを知っている」といって挨拶してくれたことをうれしそうに語ってもいた。
 
イスラム教といへば、「ラマダン」ということばをご存知の方は多いと思う。このラマダンは「断食」のことではなく、日の出から日没までのあいだ断食をする月名のことである。まったく食事をとらないことだと思っていたが、そうではない。正しくは日没から日の出までの間に一日分の食事を摂るそうだ。重労働者や妊婦、産婦、病人など体調不良者は免除されると聞いたが、敬虔な信者は断食の間は自らの唾も飲み込まないそうだ。
 
どうしてこんなつらいことをするのか。一種の宗教的な試練をラマダン中には世界中のイスラム教徒が実践することで、一体感を共有することになると理解している。

あるときRさんは打ち合わせをしているとき、日没の時間が来たことを確認して、かばんからタッパーウェアのような容器を取り出して、いっしょに食べましょうといってすすめてくれた。中には角砂糖の形をしたごはんの塊(?)だった。断食明けによく食べるものらしい。Rさんはほんとうに敬虔なイスラム教徒だった。

「ちょっといいですか」といって衝立の中に入り、持参していた白い服を上からさっと被り、床にすわれるだけの大きさの敷物を敷いて、その場にしゃがんでメッカのある方向にお祈りをしている姿を見たこともある。イスラム教にはあまりいい印象を持っていなかったので、認識を新たにしたものだった。


日本のゆるい宗教環境から見れば、中華系のマレーシア人以外=イスラム教徒という枠組みは窮屈そうに見えるのだが、仏教やキリスト教と同じように宗教であって、イスラム教そのものは別段過激なものには思えなかった。



[PR]
by far-east2040 | 2016-07-24 07:29 | アジア図書館