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アジア図書館で最初に会うことになった語学スクールの講師がインドネシアの国費留学生だった。色が浅黒くて、明らかに東アジアの顔つきではないので緊張したし魅了もされた。何人か覚えているが、すべて男性で教養と育ちと性格の良さが滲み出ていた。


1990年代始め頃、ビジネス関連の見識があまりないので詳しく語れないが、日本と経済的な繋がりが大きい国になりつつあったように思う。

それと、バブル経済がはじけたといえども、気軽に若者が行ける国になっていたように記憶している。バリ島とか行ってきたという話しをよく聞いたし、海外出張で行かれる人の話も聞いた。


インドネシアのファンもタイ同様多かった国だと思い出されるが、ちょっと違う面もあった。当時とても行きやすかったタイ、フィリピン、台湾、韓国と比べると、インドネシアはイスラム教徒の国ということが影響していたと思うが、日本人男性が特に「楽しみ」だけを目的とした旅先には選ばない面があったように思う。

だから国としていろいろな矛盾があったとしても、日本から女性の目で見れば凛としているところが感じられた。


言語としてのインドネシア語はアジアの言語の中でもやさしい言語に属すると思う。さらにマレー語とかなりの部分重なるし、フィリピン語とも似ているので、インドネシア語をマスターすると便利そうだ。その上文字がアルファベットで、語順も英語に近いようだし、声調がない。タイ語やベトナム語の比ではない。


勤め帰りにインドネシア語講座に通われていたBさんを思い出す。

仕立てのいい背広、なじんだ通勤かばん、髪の毛の白いもの、物静かな話し方、柔らかな面持ち。
バブル崩壊後まもなくのころで、多分定年退職を真近にされて、残りの社会人生活を穏やかにすごされている人とお見受けした。

授業が始まる前にちょっと雑談をしていたら、かばんからインドネシア語で書かれた手紙を誇らしげに見せてくれた。インドネシアの少年のフォスターペアレントをしているので、ときどきその子から手紙が来るのだという。その手紙を読めるようになりたいので、インドネシア語を勉強されていた。

B
さんが戦中をすごしたのは少年時代だった。だから同じアジア人でも日本人と顔つき、肌の色、生活様式がちょっと違うインドネシアはあこがれの国として少年の幼い心を揺さぶった。

「ああ、もうすぐいっしょになれるんだ」とラジオの戦況放送を聞きながら思ったという。
「大東亜共栄圏」の実現を素直に信じていたという。
「侵略戦争なんて……考えたこともない」こういう意味合いのことをつぶやいていた。

戦後の左右に揺れる世の中の論調とは別のところで、Bさんは幼い心がつかんだインドネシアをそのまま暖めてきたのではないだろうか。それが具体的にインドネシアの恵まれない子どもの里親をやることに繋がった。Bさんにとってはほとんど経済的負担にならない。

アジアの子どもの里親になったことがきっかけで、その国の言葉を勉強し始めた人は何人か知っている。みんないい人達だった。



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by far-east2040 | 2016-07-27 08:45 | アジア図書館

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中国と同じように多言語社会であるインドの共通語のヒンディー語教室の先生は在日インド人の夫人であるМさんだった。インドで大学を卒業しておられるエリートで、しかも長く語学教師をしているのので教え方は安定していた。

この方もインド出身の知識人らしく出身地の言葉(グジャラート?)とヒンディー語あともう一つの言語が少しできると聞いたようなが気がする。そしてもちろん英語と日本語ができた。


ヒンディー語の生徒さんはそれぞれが独立していて群れないタイプの人が多かったという印象がある。お坊さんもいたし、インド人男性と結婚後インドで住む予定なので、勉強している若い女性もいた。日本人男性にないものをインド人男性に見出し、お金持ちでもなく何もないような所へ行こうとする彼女の情熱にこちらは感服。


アジア人と結婚が動機となってその地の言語を学習する日本人女性はときどき会った。

アジア人女性と結婚する日本人男性よりも純粋な傾向はあったように思う。もちろん例外もあるだろうけれど。
 
さて、Мさんがちょっとした内輪のパーティーに民族衣装サリーを着てこられると、必ず注目された。インド人独特のやや浅黒い肌と深みのある目元をしていて、日本社会ではどこへ行っても目立ちそして絵になる方だった。

2012年のインド映画「マダム・イン・ニューヨーク」の主人公と重なるところがある。大阪の庶民的な町を歩くサリー姿の彼女のことを覚えている人は少なくないだろう。

 
そんな彼女から、インドでは少しいわゆる「ぽっちゃり型」がもてることを聞いたことがある。だから1枚の布をくるくる身体に巻きつけるサリーから、肉づきのいいお腹が少し張り出して見えるほうが魅力的なのだという。私は生れた国を間違えたかも知れない。

Bさんに2,3枚サリーを持参してもらって、アジア図書館で「サリーの着付け教室」を女性客限定で企画したことがあった。予想以上に女性が集まり、にぎやかな雰囲気の中、かんたんなサリーにまつわる話しを聞いたあと、実際にお客さんにも着てもらった。サリーは持ち運びや手入れが簡単そうな布一枚の民族衣装だと思う。「マダム・イン・ニューヨーク」の映画でも主人公は何枚もスーツケースに持参してニューヨークに来ている。

当日のМさんが着ていたサリーは色無地に全体的にスパンコールのようなものが縫い付けてあってきらきら光っていたので、「スパンコールがきれいですね」なんていったら、「ダイヤモンドです」といわれて、参加者とびっくりした思い出がある。全体だから、何十個ではなかったはず。

あるとき「インドの女性はみな美人」という内容のことをいわれたのだが、返すことばが見つからなかった。そうですよね。アジアの中でもオリエンタルといわれる人たちの顔つきとは明らかに違う。みんな彫りの深い顔立ちを持っているので、迫力で負けてしまう感じ。
 
このようにはっきりものをいう気さくな性格が私は好きだった。在日インド人として長く滞在していたので、いつか本国へ帰る留学生とは違う「在日」感覚もあり、親密な会話をもたらしてくれた。


子どもがまだ小さかったので、将来の教育に関してはいろいろ考えていて、日本が英語の会話力がしなやかに身につく社会でないことはすでに感じておられた。

そういえば、アメリカの親族から子どもの「マクドナルド」という発音を手厳しく非難された話も聞いた。つまり「きちんと英語を教えなさい」と。



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by far-east2040 | 2016-07-25 07:12 | アジア図書館