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アジア図書館の貸し出し業務をする傍ら、手が空いたときは、B6サイズのぺらぺらの登録カードに書かれた古本の情報を、パソコンに入力していく作業をしていた。

この作業は現在もボランティアの人たちに助けられて続いているはず。


登録カードに題名、著者、編者、出版社、どの国や地域のどういうジャンルの内容かを把握して分類コードを記入していく作業で手書きだった。雑誌なども特集記事内容で分類していたので、記事名を題名にして登録していた。


市民から持ち込まれた雑多な古本の登録なので、どうしてもこういう手作業が必要になってくる。これを私が一枚一枚パソコン画面に入力していた。


パソコンの環境設定は詳しいボランティアの人がやってくれていたが、OSはまだウインドウズではなくてMS-DOSだった記憶がある。そういえば、日本語変換プログラムももっぱら一太郎を使っていた。

若いからこつこつやれたことで、辞めてから頚椎を傷めていることがわかり治療に時間もかかったので、この作業を思い出すとちょっと複雑な思いを持ってしまう。


当時この登録カードを主に作成して下さっていたのがAさんというボランティアの方だった。
私の父親ぐらいの年齢の方で、ご自分の会社経営は他の方にまかせて、冷暖房設備はなくて、夏は扇風機で涼を取り、冬は石油ストーブで暖を取る倉庫のような作業場で、平日は毎日登録カードを作成しておられた。歴とした老舗の会社の「社長さん」であり、アルコールも相当好きな方だったと聞いていた。

会社には居場所をちゃんと教えていたので、たまに会社から電話がかかってきて「社長」の顔になっていたとのこと。こんなことが陰で話題になるぐらい、社長という別の顔を持っている人には見えなかった。

作業場への「通勤」には長年使ってきたよれよれの風呂敷を使い、中は読みかけの文庫本や自作の短歌や俳句を書いたメモ類や大学ノートだったと記憶している。
 
ほとんど感情を出されない方だった。飄々として疲れたら好きな本を読んだり、たばこをふかしたり、ぶらっと外に出て気分転換されていた。マイペースでちょっと「浮世離れ」した方だった。同じ空間にいても別世界にいるような感じもした。今思い出すとおかしさがこみ上げてくる。

Aさんの書いた登録カードの字が読みづらいものだった。直接はいえないので、事務局長を通じてもう少しわかりやすく書いてほしいと頼んだような記憶もあるが、あいかわらずだったような気がする。
昼間からアルコールが入るときもあったのだから、仕方がなかった面もある。ときどきデータ入力作業を中断して、カードとにらめっこしていたのがなつかしい。 

こちらが読み取ろうとする集中力を少しでも失えば、とたんに読めなくなる字というしかない。つまり達筆なのである。訊いて教えてもらって初めて「ああ、そうか」と思わず言いたくなる字。わかってしまえば、それまで波打っていた字が意味のある文字に見えてくるから不思議。
 
私が納得した顔を返すと、そばでAさんはにこっと笑っていたものだった。ご自身をひけらかすタイプではなかったのだが、出版物に関しては相当な知識を持っていたように思う。そういう知識がなければ、やれない作業でもあった。


作業場の最寄り駅は大阪の下町で商店や住宅が密集した地域にあり、新幹線の高架下。作業中に新幹線が通過するたびにゴーという音が鳴った。風呂敷包みをぶら下げて、ちょっとアルコールが入ったような足取りで歩くAさんの姿は目立つようで案外目立たなかったかも知れない。
 
もうお亡くなりになっているが、アジア図書館にいた頃の私の思い出の中で音を立てずに静かに存在している。



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by far-east2040 | 2016-07-21 10:00 | アジア図書館