アジア図書館と留学生


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若い頃、スタッフとして働いていた民間が運営するアジア図書館は、夕方から夜にかけてアジア各国から来た留学生を講師に迎え、「アジア図書館のアジア語学スクール」として少人数の語学教室を運営していた。

今もそれは続いているが、規模は少し小さくなっていると想像する。

大阪の人気のある住宅地が多い北摂地域や梅田、神戸、京都にも阪急電車で繋がっていて通勤、通学途中の下車で通うことができるので、駅前の小さなビルはアジアの留学生や語学を勉強しながら交流を求める人たちが集まったものだった。
1990年前後、生徒数はピーク時で400人ぐらいはいたように思う。昼間開設していたアジア図書館の閲覧コーナーをそのまま教室として使うので、蔵書に囲まれた知的雰囲気は民間の語学教室にはない特徴だった。

こういうところに来る人のほとんどは学生か安定した職についていたので、休暇を利用してアジア各国へ旅行する人が多かった。あの頃は圧倒的に東南アジアが若者を引きつけていたように思う。旅行をきっかけに語学を学びたい、留学生と交流したいとこんな小さな場所に足を運んでくれた。


留学生はほとんど日本の文部省が学費や生活費を負担する国費の留学生だった。

運営する側はお金がないし、集う市民からも安い料金で場を提供していたので、経済的に困らない国費留学生は有難かった。

彼らは安い講師料にもかかわらず、喜んで引き受けてくれた。そして自分が勉学を終えて帰国するときには後輩の国費留学生を連れてきて引き継ぎしてくれたので、こちらは人材確保の心配がいらない。


彼らはみな本国でむずかしい選抜試験を受けて合格して来ているので、優秀で、穏やかな性格や身についたマナーは育ちのよさを感じさせる好青年が多かった。なかには第一志望のアメリカ留学に落ちたので日本に来たという人もいたが、彼らに親しみを持って接する市民が多いので、みな日本人に対して好意的な感情を持っていたと思う。  
 
特に東南アジア、南アジアからの国費留学生は知的エリートとして、帰国後はそれぞれの研究分野での活躍が期待されるような人材と写った。国費留学生の住宅は留学生会館と呼ばれるような施設があるので、住宅を探す際の家主とのトラブルはない。彼らは間違いなく知日家、親日家と呼ばれる存在になっていると思う。

国費留学生に係る経費は、親日家やビジネス関係のかんたんな通訳を育てていると考えると高いものとは思わない。将来の投資なんだと私は考えていたが。


韓国や台湾、中国については、私費の留学生も多いという印象を受けた。同じ資本主義社会の韓国、台湾については、本国の親元からのある程度の送金が期待できる一定層以上の家庭出身と想像はできた。

しかし中国からの留学生については、未だにどうやって物価の高い日本での学費や生活費を捻出していたのか不思議だった。現在とは違い、当時は富裕層なんて言葉も知らなかったし、ショッピング目的で観光地に怒涛のように押し寄せる中国人なんて想像もできない時代だった。
ときおり、したたかな人が多かったと好意的に思い出している。



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by far-east2040 | 2016-07-20 08:46 | アジア図書館

アジアの名前あれこれ


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震災半年前こんなこと考えてけれど、のんびりしてたなと思う。


結婚の形態がすごく変わってきているので、名前に関しては、これからはビルマのように婚姻や血の繋がりなどに重きを置かないで、単に「Aさん」「Bさん」「Cさん」のように個体の認識のみ使われる世界になっていくような感じがする。つまり個人としてああだこうだと主張し合ってるネットの中の世界。

全世界を視野に入れて名前を考えるだけもいろいろなことが見えてきそうだ。



                                          2010-09-20公開


朝鮮半島が日本の植民地になっていた頃の政策「創氏改名」を調べる機会があって、氏や姓、ファミリーネームについて考えたことがある。

日本の苗字は血縁集団ではなく、「家」の名前である。
かつて儒教文化圏にいた民族は血縁集団の名前である姓(苗字同様に姓がない階層もいたらしいが、ここでは考えない)を使う。漢民族や朝鮮民族、ベトナム民族など。血縁関係を表しているので、婚姻関係で変わることはない。一つ屋根の下に暮らす一族では、配偶者として嫁いできた女性だけが別の姓を持っていることになる。  

一方イスラム教文化圏内では姓や苗字を持たず個人名だけである。
むかしマレーシアの女性に、名前の後ろに「アリ」とか「モハメッド」に似たごつごつした男性をイメージする名前が付いていたので訊いてみた。
○○はお父さんの名前で、□□はお祖父さんの名前」と答えられて、儒教社会の姓のように父系を表現する努力を感じて納得できた。この名前の表現方法はモンゴル人も同じで、朝青龍の本名もこういう構造になっているはず。

ミャンマー(ビルマ)について調べることがあった。この国も多民族社会で、多分マジョリティに関する情報だと思うけれど、名前については個人名しかないとのこと。その個人名に母系はもちろん父系も表現する慣習がないらしい。つまり一つ屋根の下に暮らす家族はみなバラバラの名前しかないことになる。びっくり!
ネット上のニックネームのような世界かな。私にはなかなか理解しにくい状態で、「不便じゃないのかな」と思ってしまう。
しかし食べることや生きることに、また政治的に不自由はあっても、名前に関しては不自由はしていない。逆に世界的に見て女性の地位はそれほど低くないということをデータを使って説明していた。

以上は私が持っているアジアにおける各民族の名前の情報である。他の民族のことはわからないし、頭の中はすっきりと整理されていない。

というわけで、アジア全体を見渡して、名前について各民族の時系列の変化や現在の状況について書かれた一般向けの本を読みたいと思っている。




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by far-east2040 | 2016-06-24 10:37 | 名前