父系の血縁集団を表す姓

f0364260_16554104.jpg

6年前はまだ新聞を購読していたので、その年のノーベル平和賞に中国の作家で服役中の劉暁波氏に決まったことを大きな活字で知った。

ノーベル平和賞に関心を持つ世界中の人は「劉暁波氏って誰?」って思ったんじゃないかな。
初めて聞く名前だったし、服役している理由や受賞理由を改めて知ってもほとんど理解できなかった。

政治にあまり関心を持てないからなのかも知れない。

中国側の言い分も、受賞を支持する側の言い分も、私には同じ距離があるというのが正直なところだった。

私が気になったのは、劉暁波氏の奥さんの名前がやはり劉氏であることだった。
劉氏と劉氏が結婚していることになる。

ひょっとしたら、名前を変えている可能性もあるかも知れないが。封建社会の中国だったら、成立してない婚姻ではないかとちょっと思った。


最近中華人民共和国成立の功労者の一人である朱徳の娘が生んだ孫が現在の中華人民解放軍の幹部にいると知った。

当然生れたときは朱以外の姓だけど、朱姓に変えたとどこかで読んだのだが、多分合っていると思う。軍部にいるので、朱徳との血の繋がりを表現するためだと誰でも考えてしまう。


韓国でも離婚再婚が増えてきているので、離婚後再婚した女性が前夫の姓を名乗る子どもたちの姓を現在の夫の姓に変えることは法的に可能だと知った。

姓は父系の血縁集団を表現しているので、いかなる状況でも不変だと思っていたので、姓を変えることができる事実に時代の変化を感じた。

父系の血縁集団という本来の意味が崩れてきている。

朝鮮民族や漢民族、ベトナム民族の姓は血縁集団を表していて、女性は婚姻しても姓を変えることはない。これはよく知られている。

朝鮮民族は、過去において同じ本貫(氏族集団の発祥の地)通しは婚姻できない法規制と慣習があったが、現在は北朝鮮でも韓国でも法的に婚姻は可能という。しかし北朝鮮はわからないけれど、韓国では根強い慣習として続いているはず。


金や李などのように数種類の本貫を持つ姓もあるが、たいていは1つである。だから違う姓同士なら、たいてい本貫が違うので婚姻可能。もちろん同じ姓でも本貫が違うなら婚姻可能だが、違う姓でもたまたま本貫が同じ場合は不可能だったと理解している。

この慣習は、非科学的であることは間違いないが、傍で想像するほど窮屈なものではないかも知れない。選択の幅はあるし、双方にとってフェアな忌避感情であるし、婚姻相手を選ぶ際のたしなみのようなものと理解しているが。

ただ、積極的に残していく遺産とは思えない。
 
かつて中国人の留学生に直接訊いたことがあるが、同姓との婚姻は避ける慣習はないと聞いた。地方に行けば、状況は少し違うかも知れない。


ベトナム人の名前のグエン、ファン、フィン、ホー……もみなかつては漢字一文字の姓である。
もと留学生で日本の大学でベトナム語を教えておられた在日ベトナム人男性に、こういう慣習があるのか訊いたことがある。南ベトナムで仏教に縁がある家庭のご出身だった。

私の質問に即答しなかった。首をかしげてしばらく考えて、
「年寄りはいやがる……しかし若い人は結婚するよ」
と答えられた。
 

こうなるとかつて儒教文化圏と呼ばれる地域に存在したこの慣習は、台湾の情報がわからないけれど、韓国において色濃く残されていることになる。

現在の韓国においては、法的には日本と同じように医学的見地から近親結婚を禁止している部分を除いて、いかなる制約もないことになっている。


が、実際は韓国内にいるとどうかな。

若い世代の人たちは親の世代に比べるとはるかに変化してきているのは間違いないが、同じ姓や本貫同士、慶尚道出身者と済州島を含めた全羅道出身者との結婚忌避は現実問題として水面下では存在しているように思う。



[PR]
by far-east2040 | 2016-09-02 17:03 | 名前

アジアの名前あれこれ


f0364260_10212583.jpg


震災半年前こんなこと考えてけれど、のんびりしてたなと思う。


結婚の形態がすごく変わってきているので、名前に関しては、これからはビルマのように婚姻や血の繋がりなどに重きを置かないで、単に「Aさん」「Bさん」「Cさん」のように個体の認識のみ使われる世界になっていくような感じがする。つまり個人としてああだこうだと主張し合ってるネットの中の世界。

全世界を視野に入れて名前を考えるだけもいろいろなことが見えてきそうだ。



                                          2010-09-20公開


朝鮮半島が日本の植民地になっていた頃の政策「創氏改名」を調べる機会があって、氏や姓、ファミリーネームについて考えたことがある。

日本の苗字は血縁集団ではなく、「家」の名前である。
かつて儒教文化圏にいた民族は血縁集団の名前である姓(苗字同様に姓がない階層もいたらしいが、ここでは考えない)を使う。漢民族や朝鮮民族、ベトナム民族など。血縁関係を表しているので、婚姻関係で変わることはない。一つ屋根の下に暮らす一族では、配偶者として嫁いできた女性だけが別の姓を持っていることになる。  

一方イスラム教文化圏内では姓や苗字を持たず個人名だけである。
むかしマレーシアの女性に、名前の後ろに「アリ」とか「モハメッド」に似たごつごつした男性をイメージする名前が付いていたので訊いてみた。
○○はお父さんの名前で、□□はお祖父さんの名前」と答えられて、儒教社会の姓のように父系を表現する努力を感じて納得できた。この名前の表現方法はモンゴル人も同じで、朝青龍の本名もこういう構造になっているはず。

ミャンマー(ビルマ)について調べることがあった。この国も多民族社会で、多分マジョリティに関する情報だと思うけれど、名前については個人名しかないとのこと。その個人名に母系はもちろん父系も表現する慣習がないらしい。つまり一つ屋根の下に暮らす家族はみなバラバラの名前しかないことになる。びっくり!
ネット上のニックネームのような世界かな。私にはなかなか理解しにくい状態で、「不便じゃないのかな」と思ってしまう。
しかし食べることや生きることに、また政治的に不自由はあっても、名前に関しては不自由はしていない。逆に世界的に見て女性の地位はそれほど低くないということをデータを使って説明していた。

以上は私が持っているアジアにおける各民族の名前の情報である。他の民族のことはわからないし、頭の中はすっきりと整理されていない。

というわけで、アジア全体を見渡して、名前について各民族の時系列の変化や現在の状況について書かれた一般向けの本を読みたいと思っている。




[PR]
by far-east2040 | 2016-06-24 10:37 | 名前