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よく買い物をするスーパーの漬物コーナーでは、梅干、たくあん、キムチを並べる面積はほぼ同じで、他の漬物よりも圧倒的に広い。

いつからこんなに普及し始めたのかなと思う。


私は結婚するまで、キムチを買ったことがなかったが、夫が毎日食べても飽きないぐらい好きなので、買い始めたのである。

夫は九州の田舎町で育った人なので、多分大阪に出てくるまでキムチは食べたことはなかったと思う。

ある日下町の露天で売っているキムチを食べたときに、あまりの美味しさに帰郷するときにはおみやげに持って帰ったこともあるという。


夫が出かけるときによく一人で作るお弁当は、ご飯の間にマヨネーズ、キムチ、ピザ用チーズをはさんだキムチ丼風か、マヨネーズかマーガリン、キムチをはさんだサンドウィッチだ。

私は受け付けられないので味はわからないが、本人は「こんな美味しいもの……」というぐらいかなりいけるらしい。キムチとマヨネーズは合うらしい。

韓国でこんな丼やサンドウィッチ売っているのかな。


私は小さいころからキムチを眺めてはきたが、複雑な家庭環境ゆえに親しめなかった。
兄妹みなそうだ。
今までの見聞でいうと、在日Koreanではかなりめずらしい。

小さい頃の味の記憶がないので、冬場にスープやお鍋で美味しく食べるぐらいで、今でも漬物としては積極的に食べたいと思わない。

夫の酒飲み仲間から「アホちゃうか」なんていわれたことがある。


Koreanとキムチの関係は日本でいえば、なんだろう。
たくあんや梅干との関係は超えてる感じがする。
キムチなしでKoreanは生きていけないのではないか?


新聞を購読していた頃、1932年生まれで現在84歳の作家高史明氏が、少年時代の思い出話を語るコラム記事を読んだが、キムチに触れていたところを覚えている。


……冬は教室のダルマストーブに弁当箱を並べて温めていたのですが、うちのおかずはキムチしかない。そのにおいが教室中に広がって、くさい、くさいと騒ぎになった。自分もくさいと思ったのですが、気がついたら原因は自分だった……。自分が二重に壊れてしまった感じで、くさいと言っている連中を一人ずつ殴りつけました」


高史明氏はお母さんを早くに亡くしているので、このお弁当はお父さんが作ったものだと思う。それを思うと、余計に胸に迫ってくるものがある。


1930年生まれの韓国人女性イ・サンクム(李相琴)さんが、15歳で帰国するまでの思い出を綴った『半分のふるさと』にも同じように「キムチ入りのお弁当」がもたらした冬の日の教室内のほろ苦い思い出を書いている。

父の思い出にも当然キムチが出てきた。
1930年代いなか町の尋常小学校にほぼ初めての朝鮮半島出身の子どもとして入学したのだが、お弁当のおかずはキムチだけ。

他の子どもはうめぼしだけのいわゆる日の丸弁当。

その当時は麦入りのご飯が当り前で、お弁当を持参できない子もいっぱいいたので、持参できるだけ恵まれていたという。

まわりから「くさい、くさい」といわれたので、隠して食べたり、わざと持って行かなかったりしたという。
祖母はキムチを水で洗ったりして入れてくれたが、父はみんなと同じうめぼしにしてほしいと必死に頼んだらしい。
祖母はどんなものかわからない。仕方がないので、手に入ったまだ青い梅を切って入れてくれたらしいが、おいしくなかったという。当り前だわ。
高史明氏もそうだが、父も笑い話として語る心境には達していた。

日本社会でKoreanが定着するところには必ずキムチがついてきた。


日本社会で一番早くキムチの美味しさに気づき、食生活に取り込んできたのは九州ではないかと思う。

「うちは朝鮮漬けも作りますよ」

なんて聞いたのも九州のお宅だった。

九州では早くから「朝鮮漬け」として家庭でマメな女性たちに漬けられてきたようだ。

自分で白菜を栽培して、キムチを自分で作っている人を2人知っているが、偶然だろうかどちらも九州出身だった。


とにかくキムチとして、広く日本の家庭の食卓にも上るようになったのはこの数十年だと思う。夫もそうだが、キムチをほんとうにおいしそうに食する日本人がいる。
当然まったく忌み嫌う人もいると思う。私もそれに近いところがあるので、匂いがついていけないんだと思う。


反韓・嫌韓を煽る言論や行動の仕事についている人のことを考えていると、案外キムチは好きで食べている人もいるような気がする。


戦前のキムチが受けてきた扱いのひどさを知っているので、日本人の食欲を満たすことで確固たる地位を勝ち得たキムチの忍耐と努力に拍手を送りたい。



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by far-east2040 | 2016-09-11 15:13 | 文化

日本料理の独自性

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昔むかし、マレーシアの若い女性留学生と食文化の違いについて話していて、

「わたしは韓国人と台湾人とは結婚できる」

というので、理由を聞くと

「食べるものが似てる」といった。

「なるほどな」と思ったものだ。


これは食生活だけに限った世間話で、実際の結婚となれば、イスラム教徒以外との結婚はかなりむずかしいと思う。

多分、マレーシアではマレー系=イスラム教徒=イスラム教徒以外の結婚は禁止となっていると思う。今は違うのかしら?

実際マレー系の男性と結婚するために、イスラム教徒になるための学習プロセスを経て無事に結婚した日本人女性を知っている。

で、話を戻すと、あくまでも傾向としていうのだが、日本料理にはとうがらしの「辛味」がないということで、アジア全般を見渡して特長になっているようには感じる。

にんにくも伝統食の中で日本ほど使われない国はアジアでは珍しい。

あくまでも食文化の違いであって、優劣を語っているのではない。


私は今野菜を栽培する生活を持っているが、周りを見渡すとにんにくはたいていの人が栽培しているし、ホームセンターでも種球はシーズンになるとたくさん売られている。

にんにくは日本では避けられていた野菜の1つだったと記憶しているのだが、いつから普及してきたのかなと思っている。

中華料理の普及? それともイタリア料理のブームがあったらしいので、そのイタリア料理の受容からかな?


ネットでよくマレーシアなど東南アジアの庶民的な料理が紹介されているのを見ていると、どれも美味しそうだなと思う。

麺やご飯、チキンの上にかかる辛そうなタレがたまらない感じ。

その料理は日本以外のアジアのどこの国の伝統食にでも入っていけるというか、馴染んでいける親和性というものを感じる。

つまり、日本以外はみな似てる感じがする。

でも、タイのナンプラー、ベトナムのニョクマム、東北地方の魚醤は似ているらしいので、いろいろ例外がありそうだけど、日本の伝統食のアジアの中での独自性は際立っていると思う。

韓国にいる親族で日本でたびたび日本料理を食べた叔母がいるのだが、「日本料理は味がない」ということを不思議そうに語るのを何度か聞いた。

さらに「お皿にちょっとしか載ってない」と指先で「ちょっと」を表現するしぐさがおかしかった。
私にもう少し韓国語能力があれば、日本料理が持つ美学を多少は語ることができたのだが。


確かに韓国料理は辛味たっぷりで、お皿にしっかり盛られることが多いように感じる。

ドラマ『チャングムの誓い』を観ていたとき、宮廷料理として出される一人前の量が多すぎるので、残り物の行方をあれこれ考えたことがある。

人間の食べる量はさほど変わらないはず。

祭祀の際、あっさりして見た目もかわいいチジミを見たことがあるが、そのままでは食べず、やはりこってりした辛味タレをつけて食べていた。
韓国料理を色で表現すれば、とうがらしの色で、日本料理はおすましのようなうすいしょうゆ色かな。素材そのものの色合いを大事にしている感じがする。

私自身は韓国料理を味わう舌を持ち合わせていないので、日本のどこにも根がない、こってりしたしょうゆ味が好きになり、加齢とともにますます和食が好きになってきた。

JAPANESEKOREANの庶民の食生活の違いの1つは、KOREANは牛肉のおいしい食べ方を伝統的に知っていることだと思う。

最近、その肉食文化はモンゴル帝国が高麗という国を一時支配していた時に伝わっただろうという事実を知った。合っているように思う。

だから体格についていえば、肉食の伝統があるKOREANの方が骨格がしっかりしているように感じている。もちろん一般論として。


在日文化としてホルモン焼きとか焼肉はよく知られている。

これは生活の貧しさから日本社会から見向きもされず捨てるような部位を見つけて生み出した料理と思っていた時期があったが、そうではない。

KOREANは母から娘に牛肉のすべての部位を美味しく食べる方法が伝えられていたからだ。


伝統的な日本料理は繊細な美意識を表現する巧みさがなければ、外国で正確に語るのはむずかしいように思う。



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by far-east2040 | 2016-09-07 19:21 | 文化