2017年 03月 18日 ( 1 )

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郴県に残っていた敵の五個中隊は朱徳軍接近の噂を聞くと、たちまち逃げ出してしまったので、朱徳は一発も撃たずに県城を占領した。

まもなく郴県に工農委員会が作られ、続いて県内の村々に工農委員会が作られていった。


当時毛沢東は井岡山をなだれ降りて、江西省一円を掃討してまわっていた。

茶陵にあった漢口守備兵大隊は湖南省南部と東部に人民政権が樹立できるまではという勢いで四方に攻撃していた。


郴県の北方に、莱陽県という大きな県の莱陽という県城があり、戦闘的な農民と知識人で有名だったが、地主が残虐なことでも知られていた。

朱徳はここを占領するために、自ら数個部隊を率いて進撃した。

県城の南門から数里のところで、彼は千人の武装した農民に出会った。

彼らから南門の防御は堅固だが、他の門の防御は手薄で、北門はいつも開け放たれていて、6人足らずの民団兵で守られているにすぎないことを知った。


朱徳は今回も農民が進言した計画に従った。

その夜、彼は山岳地帯を通って莱陽の東側へ行軍した。

眠りに落ちた村々を通過すると、男たちは起きて来て、武器を手に取り革命軍といっしょに行軍していった。

地主の指揮官と民団兵の夜間勤務の交代の隙を狙って、革命軍は町のなかに進入し、彼らを背後から襲撃した。

農民たちも餓えた人間のように民団に襲いかかり、武器を奪い取った。

農民が捕まえた幾人かの地主は、その場でなぐり殺された。


二週間のあいだ、農民たちは莱陽の解放と工農委員会の建設を祝った。

朱徳は、ぞくぞくと集ってくる新しい志願兵の処理と、革命を広げるために農村へ送り出されていく農民分遣隊の編成の問題で、朝から晩まで多忙をきわめていた。

そして毎日開かれる民衆大会で話をする時間をなんとか作っていた。


そこで朱徳はひとりの女性と知り合った。

彼女も大胆不敵な農民組織者として農民たちに広く知られていて、力強く理智にあふれた演説家だった。

25歳で、自然のままの足と頑強な身体を持ち、髪を短く切り、浅黒い肌をしていて美人ではなかったが、大きな立派な目は理智的で決断力を秘めて輝いていた。


朱徳は、彼女が呉玉蘭という名で、小説家であり、かつて大革命において指導的役割を演じた知識階級の一家の一人だと、紹介された。


彼女の二人の兄弟はただちに革命軍に入り、彼女は政治部に入った。

朱徳が彼女と莱陽で結婚したことをスメドレーにいうと、彼女はびっくりして顔をあげた。

彼は少しまごついて急いで説明を加えた。


「それは世間一般の慣習的な結婚ではなかった。

私はそれまでに、四川省に妻をもっていたが、1922年からずっと会ってはいなかった。

ときどき文通はあったが、彼女もずっと前から、私の一生が革命のものであり、私が決して家庭に帰らないだろうということを、よく知っていた。

呉玉蘭も、彼女の家族も、このことは十分承知していたのだが、みな因襲的形式には縛られなかった。

もちろん呉玉蘭も、ほかの婦人たちと同じように、彼女自身の名前をもちつづけ、政治部で彼女自身の仕事を担当し、彼女の時間の大部分は村々での仕事についやしていた」


ここでスメドレーは呉玉蘭の話をする朱徳の憂鬱そうな表情に気がついて、理由をたずねた。

何かこの世のものではない光景を見ているかのように、朱徳は薄暗い室内を激しくじっと見つめながら、しゃがれた声で答えた。


「彼女は、その後、国民党軍に捕えられた。

やつらは、彼女を拷問した上で、首を切った。

その上、彼女の首を棒につきさして、その生れた故郷、湖南省長沙の町の大通りで、さらしものにした」


紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋


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by far-east2040 | 2017-03-18 09:00 | 朱徳の半生