2017年 02月 27日 ( 1 )

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上海の虐殺を知って、漢口の国民党中央委員会は蒋介石を党から除名し指揮権を奪った。

しかし彼は自分が主席とする別の国民党と軍事政権を南京に組織した。

一方、帝国主義列強が蒋介石に融資し、承認し、彼の政権を監督するための顧問を送ってきたのは2年後だった。

つまり蒋介石が反軍閥・反帝を完全にたたきつぶすまでは、彼を中国の主導者としては認めなかった。


いまや蒋介石は新旧の軍閥から人気を集め、彼らは続々と国民党に加盟したり、その政府に入った。

漢口の国民党左翼の多くのものまで、そっと南京の方に歩み寄っていった。

山西省の中世的な軍閥閻錫山は「北方革命軍」の総司令官に任じられ、後に蒋介石政権の国防部長になった。

1927年の末までに、蒋介石は閻錫山だけでなく、北京の軍閥張作霖とも結んで共産党を根こそぎにせよと公言した。

北京の張作霖はこの新同盟の祝福のために、何百の北京の進歩主義者を捕えて殺した。


朱徳は反軍閥・反帝の運動の中心地である上海での殺戮を知って驚愕し、考える力を失うほどだった。


「それからの十年を通じて」と朱将軍はいった。

「中国のブルジョア階級は、帝国主義に圧迫されているくせに、しかも、その外国帝国主義および中国の封建的地主階級と、反動的な同盟をむすんだ。
こうして、ブルジョア階級は、蒋介石を旗頭にして、革命を裏切り、そして国民の敵になった」


上海虐殺の直後に、共産党は第五回大会を漢口で開いた。

朱徳は出席しなかった。

主要な国民党員は出席したが、ヨーロッパから戻ったばかりの汪精衞(汪兆銘)もいた。

彼は上海で蒋介石と秘密の談合をした後に漢口に入り、国民党左翼の中の彼の一派を秘密に召集し、彼と蒋介石との協定を承認させた。

共産党書記長陳独秀は、大衆運動に関しては自分の過去の過ちを認めたが、毛沢東の農村革命の理論や労働者農民の武装の問題を討議することは妨げ続けた。

しかも共産党は労働者農民の武装を遠慮すれば、決定的分裂がさけられるだろうと考えて、国民党左翼の指導者のいうことに従っていたと朱徳は語った。


1927年の5月から7月にわたって、反動攻勢のために全国的に血が流された。

汪精衞が首脳となった漢口国民政府は圧力をかけてくる蒋介石の軍と喧嘩の真似事を見せていた。


このようなはるか以前に起こった悲劇を思い出して、朱徳の声は低くするどくなった。


「国民党左翼政客と軍人とは、上海の虐殺とともに開始された反動攻勢に対して、労働者農民の支持をもとめて戦おうとしなかったどころか、大衆運動を弾圧しはじめた。

……

国民党の、左右の両翼の指導者とともに、故孫逸仙の衣によって身をつつんでいたが、真に孫の意思を明かにしたものは、その未亡人宋慶齡のみであり、彼女はその両翼をともに否定していた。
彼女は声明を発して、故孫博士は、ロシアがまだ帝政下にあった時に、すでに農村革命を唱道していたということをしめし、いま労働者農民の運動を『新しく奇怪な産物』であるとして非難しつつあるものを弾劾した。
また彼女は、1927年の農民は、孫博士が革命を起したころよりもさらに悲惨であり、大衆運動の弾圧は、国民への裏切である、といった。
しかし彼女は、すでに革命の影響下にある巨万の民衆は、勝利の日までその闘争をつづけるということを確信する、といった。


宋慶齡は彼女の亡夫の主義への忠誠を捨てず、数人の国民党指導者とともに、ヨーロッパに亡命した。


「1927年の7月中旬までには、大革命の幕はとじた。
左派の革命家たちは、ロシア人顧問とともに逃亡し、流血は河をなし、将軍たちは、反復常なく、いたるところ混沌たる騒乱だった。
蒋介石は、覇権に近づきつつあり、新旧の軍閥を手中におさめ、彼らをたがいに相争わせながら、自己の優越の地位を保った。
ちょうど1911年革命後に袁世凱が権をにぎったときのように、蒋も、外国帝国主義と中国ブルジョアジーと封建的地主階級との三つの力の合体によって支えられていた。
ちょうど袁世凱のように、蒋は、外人によって、愛国者、国家の柱石、大政治家、そして中国を統一する能力をもつ唯一の強い男、とよばれていた」


蒋介石は少なくとも袁世凱から一つのことを学んでいた。

袁世凱は基督教諸国に向って自分のために祈ってくれといった。

蒋介石は洗礼を受け基督教会員になり、すぐに妻と妾たちを捨てて、孫逸仙夫人と資産家の孔祥煕夫人の妹である宋美齡と結婚した。

朱徳は蒋介石のこれらの行為は「巧妙な戦術だった」といった。


孫逸仙の未亡人を義姉にすることによって、蒋介石は孫逸仙の正統な衣鉢をつぐものになった。

しかし孫夫人は彼女の夫の名が反革命の飾り物になることを防ぐために中国を去ったのである。

蒋介石は義弟として彼女にヨーロッパから帰って「慎重に考慮」するように打電した。

彼女はそれを無視した。


紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋



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by far-east2040 | 2017-02-27 09:00 | 朱徳の半生