農民蜂起 土地革命の開始③ー3

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朱徳は井岡山にいる毛沢東に代表をただちに派遣した。

そのあと農民蜂起計画を立てるために桂陽会議に集まってくる各地の共産党代表に会うために、彼の小さな革命軍を率いて、山岳地方をぬけて西方にくだっていった。


この進軍について朱徳が語った話は、まるで不朽の名作『水滸伝』のようであったとスメドレーは回想した。


革命が押しつぶされ。むかしからの抑圧的支配階級がふたたび権力を握ってくると、国中にふたたび匪賊らも蟻のように群がっていた。

彼らは絶望した農民たちを自分たちの隊列に引き入れて、それぞれの地方一帯で支配権を打ち立て、多少とも繁栄している地方に対して血なまぐさい襲撃を続けていた。


ある夜ある村で、朱徳と一個連隊が眠り込んでいたとき、匪賊の小部隊との戦闘が始まり、朱徳もかろうじて死地を脱したことがあった。

彼の部隊のある分隊は本隊に合流しようと迅速に行動し、退却する匪賊のすぐ後を追った。

ところが20人ほどの匪賊は暗闇の中で彼らを自分たちの仲間だと勘違いし、そのあとについていった。

集合地点について点呼をすると、その匪賊たちは革命軍に取り囲まれていることに気がついた。

朱徳はその匪賊たちとよく話しあい、むかしからの匪賊はそのまま釈放し、もとは貧しい農民たちには入隊するように勧めた。


「あちこちいたるところで、われわれは国民党軍の小部隊と遭遇したり、その噂を聞いたりした。
当時彼らは、何らの目標ももたずに国中をうろつきまわっていた。
彼らは、われわれが近づくと、すぐ逃げてしまうので、彼らと話し合うことはできなかった。


桂陽についてまもなく、強力な武器をもった広西軍一連隊の兵力が近づいているという情報を得た。

まともに戦闘することはできないと判断して、桂陽の町を撤退して山岳地帯に布陣したが、まもなく彼らは脱走兵にしかすぎないことがわかった。


湖南省南部と広東省北部から集まった党代表の桂陽会議は3日間続き、その後12月の半ばに一斉に始まる蜂起の準備のためにそれぞれの郷里に帰っていった。

最終日、長い列を作った農民の輸送隊が范石生の司令部から二、三百着の軍服とかなりの量の弾薬を持って到着した。


そして朱徳が準備で忙しくしている頃、広東市の共産党からの招請状を受け取った。

広東市でも12月半ばに計画されている蜂起を援助するために、朱将軍にただちに行軍を開始することを求めていた。


12月のはじめ、ただちに朱将軍は南方へ向かって進軍を始めた。

しかし農民たちは始まりの開始と勘違いして、いっせいに蜂起を始めてしまった。

たちまち朱徳の小さな革命軍は土地革命の嵐の中に完全に巻き込まれてしまった。

朱将軍は農民たちの要請に応じて四方八方に小部隊を派遣しながら、南へと進軍していった。


朱徳の軍はまだ古い国民党の旗を掲げていたので、旗を見た地主は農民を鎮圧してくれるために来てくれたと勘違いし、野蛮な歓声をあげて飛び出してきた。


朱将軍は地主たちが農民の叛乱を粉砕してくれと熱心に懇願するのをじっと聞いた後、所有している武器や農民を弾圧するのにどういうことをしたか、何人殺し、何人牢獄にぶちこんだか、国民党軍から軍事的援助を受けるためにどういう手段を講じたかを質問した。

回答をすべて聞いたあと、地主と地主の傭兵である民団が気をつけの姿勢で立っている間に朱徳は武装解除してしまった。

武器は農民に渡し、地主たちは農民裁判へ引き渡した。


地主に勘違いされると、こういう策略を用いたので、その後20年間国民党の新聞は朱将軍のことを「狡猾で背信的な匪賊の頭目」と呼んだのである。

紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋



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by far-east2040 | 2017-03-13 09:00 | 朱徳の半生