農民蜂起支援計画 土地革命の開始③ー2

f0364260_14221342.jpg

大余の町で一週間すごした頃、その当時湖南省南部から広東省の省境に駐屯していた旧雲南軍(第五路軍)の范石生将軍のもとから朱徳将軍に、ひとりの参謀将校が使者としてやってきた。


范将軍は朱徳にあてた手紙で、戦友であり友人でもあるから自分は革命軍とは戦いたくないし、むしろ援助したいと伝えてきた。

さらに范将軍は自分の軍隊にいる共産党員たちは立派な革命家なので、彼らの活動に反対する気はないと。

また自分の聞き知った情報として、旧雲南軍の強力な数個部隊が現在大余に向かって進軍中であるとも書かれていた。


その後、二十日ほどの間、この小さな革命軍は、大余以西の山地のなかのある市場町に駐屯して、部隊を訓練し、教育し、それまで抑圧されていた大衆組織を復活させ、土地革命の基礎をきずいていった。


朱徳は湖南省南部と広東省の各地にいる党細胞へ使者を派遣した。

11月26日湖南省南部の桂陽で、革命軍が先頭にたつ農民蜂起計画をたてるための会議を開くので、代表を送るようにという指令を伝えるためだった。

范将軍の司令部には連絡将校を送り、衣類、毛布、弾薬の供給を依頼した。


この間に以前部隊から脱落していった将兵たちのうち約二百人が戻ってきた。

朱徳は彼らを受け入れた。


大余の町にいた最後の週、突然北側の山地から兵力不明の敵軍が急襲してきたので、朱徳は軍隊を戦闘配置につかせた。

ところが彼らは敵軍ではなくて、南昌蜂起のあと秋収蜂起を援助するために毛沢東が指導して湖南省へ進出した漢口守備隊の一部の約五百人の部隊であることがわかった。

この部隊の指揮官チャン・ツェ・チンとウ・チュン・ハオは黄埔軍官学校の出身だった。


朱徳は二人から現在毛沢東がここから北方の井岡山として知られている戦略的山岳地帯にいることを知った。


井岡山は極端な貧窮と無知に押しひしがれていたこの数十年の間に、匪賊のかくれ家になっていた地域だった。

農民運動の影響を受けて、この地方の指導者王佐と袁文才は農民を指導して土地分配のための激しい闘争を行ったが、反革命の嵐の中で昔ながらの匪賊に立ち戻っていた。

そこへ毛沢東が軍隊と農民たちを引き連れてこの地区に入ってきて、王佐と袁文才らと同盟を結び、井岡山を農村革命のための革命的軍事基地にしてしまったのであった。


紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋



[PR]
by far-east2040 | 2017-03-12 14:30 | 朱徳の半生