敗北主義を乗り越えて 土地革命の開始③ー1

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朱徳が持つ粘り強さと決断力によって、彼が率いる小さな革命軍は福建、江西、広東三省にまたがる山岳地帯を踏破することができた。

但し、部隊を解散したいと望んでいたものと、あくまでも闘争を続けようと主張するものとで行軍している間、たえず論争が繰り返された。


「敗北主義者の主張はどうかといえば、ブルジョア階級はふたたび革命を裏切り、その上、封建的郷紳や外国帝国主義勢力と同盟をむすんだ。
この勢力はあまりに強大だから抵抗できない、というわけだった」と朱将軍は当時を回想しながら、語りはじめた。


敗北主義者たちは、これ以上革命闘争を続けることはどう考えても冒険主義にすぎないと考えた。

これに対して、朱徳は彼らの主張は革命に対する反逆だと反論した。

反革命勢力になんらかのつながりを持つ数少ないインテリは命も助かり、就職もできて、引退したり外遊もできるかも知れない。

しかし労働者や農民はこういうことは何一つできないし、退却しようにも退却するところもない。

だから人民は土地革命、反帝国主義革命が成功するまで闘わざるを得ない。

そうしなければ、封建制と帝国主義者の奴隷というどろ沼に追い返されるだけである。

さらに朱徳は論じた。


「……

われわれは、いま、護衛戦を戦っているのだ。
このような場合は、みんなが精神をひきしめて、闘争をつづけていないと、軍紀が乱れてしまう。
労働者と農民とは、いま貧窮のどん底にいる。
彼らには、闘うか、さもなければ坐して死をまつか、いずれかしかない。闘って死ぬのは、奴隷として死ぬよりは、はるかに名誉あることではなかろうか。


華南の多くの地方ではすでに収穫期の蜂起が起こったが、粉砕されて地下に追い込まれてしまった。

だが農民は武器を捕獲して持っているし、われわれも彼らを援助する武器を持っている。

彼らを裏切ることは反逆になるから、たとえ一人でも自分についてくる限りは断乎として闘い続けると朱徳は断言した。


……

私は軍閥に屈伏することは絶対に拒絶する。
私は、すでに人民革命の道をえらんだのだ。
最後まで、この道をすすむつもりである」


残念ながら朱徳は敗北主義者を納得させることはできず、彼らは依然として逃亡や盗賊行為などで軍紀を乱していた。

しかし、その後二十年間中国の歴史を築き上げた多くの若い将校たちからは支持されていた。

たとえば、林彪、陳毅、チョー・ツェー・ケン、王爾卓らはみな部隊の下級指揮官であった。


朱徳が持っていた資金はまもなく使い果たされ、部隊は飢餓に悩まされはじめ、脱走するものまで出てきた。

そこで朱徳は江西省九連山脈の中で、ある地主の邸宅を包囲し「義援金」を要求した。

地主は二千ドルを出したので、江西省西部の信豊の町に近いある村に着くまで、この金でもったのである。

ここで朱徳は今度こそ敗北主義者との問題を最終的に解決するための会議を召集した。


語気はげしく、朱将軍は、わが軍からはなれたいと思うものは、だれでも、すぐ出ていかせるべきである、と提案した。


朱徳の参謀長はまっさきに部隊を去り、上海へ行った。

つづいてぞくぞくと指揮官や兵士たち三百人以上が離脱していった。

朱徳は小銃を積みあげては去ってゆく部下をじっと見つめていた。


「私は、全軍が崩壊してしまうのではないかと、心配した」遠くすぎさった光景を思いおこすように、朱将軍はかたりつづけた。
やっとのこと、この大量逃亡はしだいに小きざみになり、そして、ついに終った。
後にのこったものは、およそ九百人足らずであった。
みな汚くよごれ、餓えてやつれていたが、しかし、まっすぐに、しっかりと立っていた。
そしていまでは多くのものが、三挺か四挺の小銃をかついでいた。


朱徳たちは分隊長会議を召集し、大急ぎで部隊の再編成を行った。

そして徴発委員会を任命し、この委員会だけが地主から徴発できる権限を持つという命令を出した。

敗北主義者がいなくなったので、絶望と士気の低下はなくなり、代わりに希望に満ちた精神が生まれてきた。

三日後、朱徳たちは江西省西南部の大きなタングステン鉱山のある大余の町に入った。

一週間とどまり、タングステン精錬工場の労働者から義勇兵を募集した。

この町には北伐の際に旧「鉄軍」第四軍が設置した輸送倉庫がそのまま残っていて、数百の軍服、毛布、その他の補給物資が貯蔵されていた。

これを管理していた人はこれらの物資を朱徳たちに引き渡し、部隊に加わった。

さらに2、3百の労働者、農民も入隊した。

徴発委員会は金持ちから米と金を徴発してまわり、部隊で必要な分以上は町の貧しいものたちに分配した。


大余の町で、朱徳は部隊を5つの分隊に再編成した。

各分隊に一人ずつの政治指導者をつけ、部隊の政治教育とできるだけ多くの隊員を入党させる義務を負わせた。

そして兵士と指揮官の全体会議で、朱徳は総司令官に選ばれ、陳毅が朱徳の政治委員に選ばれた。

林彪は分隊の一つの指揮をとることになった。


大余の町で、朱徳たちは何度も大衆集会をひらいて、人民に軍の綱領と目的を説明し、人民の政権を打ち立てるまで、革命に忠誠を尽くしてくれるようにと呼びかけた。

紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋



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by far-east2040 | 2017-03-11 09:00 | 朱徳の半生