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この本には敵味方いろいろな人物が登場してくるので、読んでいて楽しかった。

朱徳が対峙してきたのは地主などの特権階級から始まって、清朝の西太后、袁世凱や蒋介石とその周辺の軍人政治家たち、外国の帝国主義者たち。


朱徳が語っているように国が外国に侵略されるときは必ず自国内に買収された協力者がいて、彼らの存在は中国固有の問題ではない。

ただ中国は領土も人口も桁違いに大きいので、その分反逆者の数は多いし、殺された民衆や知識人、将兵たちの血も川のように流れてきたという。


一方で、封建的な制度のもとで圧迫されてきた民衆を解放するために、また外国に侵略されようとする国を救うために同じ志のもとに集まってきた若者たちは反逆者の数に劣らないほど多く存在したことに感動する。

こういう人物たちの友情がこの本の魅力だ。


朱徳を軸にした展開なので、毛沢東や周恩来をはじめとする著名な指導者たちは脇役になって登場する。

彼ら一人ひとりも一冊の本になるぐらい波乱万丈の半生をおくってきた。

反逆者も多いけれど、その真逆の立場に立った人物も数多く存在することが中国らしいスケールの大きさと層の厚さを感じる。

現代も傾向は同じだと思う。


印象に残っている人たちを振り返ってみると……。


朱徳の母親

旅芸人の娘として生まれ、農婦として死ぬまで働き続けた女性。
80歳ぐらいまで長生きをしたので、自分の生んだ息子の名前を人々が敬愛をこめて口にするのを知っていたはず。
朱徳とは長く会えなかったけれど、革命事業の話を聞いていて応援していたらしい。


朱徳の養父

貧農の三男だった朱徳が教育を受ける機会を得たのは叔父である養父の野心からだった。


機織りじいさん

朱徳の家に毎年定期的に機織りの賃仕事をするために来た職人。
実は太平天国の乱で有名な首領石達開の配下の生き残りの兵士でもあった。
太平天国の乱や国内外の政治情勢のことなど外部の世界の情報を朱徳の家に伝えるという役割を担ってきたことになる。


シ先生

朱徳が弟子入りした家塾の老先生。
科挙には合格していなかったが、それ相当の尊敬を周囲から受けていた人で、朱徳はこの先生のもとで科挙の準備をした。
朱徳はここで洋学信者になり、国の将来を考えるきっかけになる薫陶を受けてきた。


蔡鍔将軍

この本を読むまでこの人のことを私は知らなかった。
スメドレーはこの人がいなかったら歴史は違った展開になっていただろうと語っていた。

雲南軍官学校の教員で朱徳よりわずか4つ年上。
年少の頃から梁啓超の弟子で日本の士官学校で学んだ人。

辛亥革命での功労者の一人だったが、30代で結核のために革命途上で亡くなる。

青年時代の朱徳の師であり親友でもあった。


孫逸仙(孫文)

朱徳はフランス留学の前に上海で会見している。
孫逸仙に実際に会えた人は珍しい。
第一次国共合作はその会見での朱徳の助言が何らかの影響を与えたような感じがする。


周恩来

ドイツベルリンで会い共産党に入党する。
この本では少ししか登場しないが、ハン・スーインが建国後聞き取りをした周恩来の半生記『長兄』には逆に朱徳は少ししか登場しない。
中国革命の裾野の広さと奥行を感じる。


陳毅

朱徳の配下にいた指揮官で、長征には参加せず残された部隊をまとめた人。
代々学者を輩出する家柄の出身。
敵側の学生部隊を「奴隷なるよりも今中国で怖いことがあるだろうか」という内容で説得して味方に引き入れた。

この人の半生も1冊の本になるだろう。


賀竜

貧農出身で文盲だったけれど、農民パルチザンを指導した中国革命の功労者の一人。
この人の名前を聞いただけで地主は荷物をまとめてさっと逃げたらしいが、仲間うちではおもしろい人物だったようだ。
私もそう思う。
残された写真はみな愛嬌たっぷりの顔をしている。

ページにこの人の名前が出てくると、ワクワクしていた。


彭徳懐

この人は軍人としては朱徳につぐ功労者だったと思う。
敵側に追われて避難した時、部隊を率いて毛沢東と朱徳を探したが見つからなかったのでもう死んだと思い、自分が紅軍を作るぐらいの気概を持っていた。

詳しい事情はわからないが、建国後の文化大革命中に牢獄で非情な扱いを受けて亡くなった。
検索すればひどい写真も出てきて、この本で彼の功労を評価する者としてはつらい。
名誉回復を受けているらしいが、中国の激動の政治の怖さを知る。


呉玉蘭

朱徳の3番目の夫人。婦人作家で集会で演説することもあり、彼が一番惚れていたような感じがする。
敵側との戦いの中で捕まり、拷問を受けて見せしめのために故郷の町でさらし首にされている。このように身内が敵に殺される体験は紅軍の指導者や兵士はほとんど持っている。


毛沢東

蔡鍔将軍とのつらい別れのシーンを知っているので、信頼できる同じ農民出身の毛と出会えたときの朱徳の歓びはわかる気がする。

作家ハン・スーインは周恩来同様に毛沢東の伝記も書いているが、後年毛沢東への評価が変わり後悔していたらしい。

私は建国後の大躍進とか文化大革命については詳しく知らないので、歳をとった毛沢東に何かあったぐらいで思考が止まっている。

ただし、建国までの毛沢東の強い指導力と革命の最中に培ってきた知性には感服している。


康克清

朱徳の最後の夫人。自ら決心して紅軍に参加するまで、文盲で地主の畑で農業労働をしていた女性なのだが、残された写真を見ると地味で丈夫な身体の持ち主だったことがわかる。

朱徳との結婚話は歳の差以前に身分違いという理由で最初は断わったらしい。

長征にも参加した数少ない女性の一人だが、彼女自身は長征中にさほど苦労したという話はしなかった。

もうひとり同年齢の女性がいて、行軍中は彼女とのおしゃべりも楽しかったらしい。
歩けないほど疲労しきった兵士の銃を替わりに担いで歩いた時もあった。

周恩来夫人は病気で時には担架で運ばれて長征を乗り切ったことを考えると、朱徳は若くて自分と同じような頑丈な身体を持つ行動力のある女性をうまく選んだなと思う。

晩年のこの女性と面識があったハン・スーインはすばらしい女性と評価していて、西洋であまり紹介されていないことを残念がっていた。

私もこの女性に興味がありネットで調べたが、中国語なのでかろうじて伝記が出版されたぐらいしかわからない。


蒋介石

朱徳とほぼ同年齢でずっと憎き敵として互いに意識し合ってきた感じがする。
ねばり強いというかアクが強いというかどれだけ民衆を圧迫してきたか。
共産主義を潔癖なほど嫌い、完全に排除するまでなんでもした感じがする。

社交家で英語がネイティヴのように話せて資産家の娘でもある宋美齡と結婚したのが見事な戦略だったと思う。

孫逸仙夫人宋慶齡は妹と結婚したからまだあの程度ですんでいると語るほどの問題ありの人物だった。

太平洋戦争は自分が仕掛けたようなことを発言しているところが衝撃だった。
確かに蒋介石にとって太平洋戦争は好都合だったように思える。


あと孫炳文、袁世凱、林彪、劉伯承、宋慶齡、彭湃、葉挺などまだまだいる。
中国の建国苦労話に登場する人物たちは敵も味方も多彩だ。



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# by far-east2040 | 2017-06-22 15:09 | 朱徳の半生

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国家的偉業をなした人物の伝記はたくさん出版されてきている。

『偉大なる道』で描かれている朱徳についても中国では国家的事業としてたくさんの伝記が出版されてきているはずだ。

ただし、偉大なことは教育を通じて認識しているけれど、もう過去の人物として普段の生活では忘れられた存在だろう。このあたりの実感はよくわからない。

毛沢東や周恩来など他の革命の指導者の伝記もそうだと思う。


朱徳の最後の夫人だった康克清は革命に参加するまでは文盲で地主の畑の農作業に従事していた人なので、中国で伝記が出版されていることがネットでわかったときは読んでみたいとは思った。

中国語がわからないので無理な話だけど。


朱徳たちが生きた時代からみたら信じられないぐらい豊かな大国にのし上がってきている中国では、こういう革命世代の伝記なんて「もう古いもの」としてほとんど読まれていないと想像する。

実際古い話だ。
古い異国の人物にこだわる私はつくづくはぐれ者だと思う。


国家的事業で書かれた政治家の伝記は読む気がしない。
どうしても実際よりも美化したり、悪い面はトーンダウンしていい面を強調しているように勘ぐってしまうからだ。。

だいたいこの種の伝記は出版はされても、さほど読まれないと思うのだが。

政治家とくに旧共産主義国の功労者としての政治家や宗教団体の教祖の伝記モノとか。


司馬遼太郎は膨大な資料の読み込みと行動で独特の作品群を産みだした作家で、紀行文は好きで親しんだ時期があった。

坂本龍馬を扱ったフィクションは残された資料に基づくこの作家の知性による創作人物であり、娯楽として楽しむ以上のものは期待できないと思っている。


『偉大なる道』を司馬遼太郎の作品と比べるのも無理な話だけど、あの時期に革命途上にある人物から直接または周辺から参考になる話を聞いて、自分のジャーナリストとしての見識を動員して編集したという点で重ね重ねすごく希少価値があると思うのだが。


アグネス・スメドレーは1892年生まれで、中国人の農民を描いた『大地』の作家パール・バックと奇しくも同年齢でしかも女性ということも共通している。

生い立ちはかなり違うが、中国を愛しているという点でもどちらも引けをとらない。

バックは1931年から1935年に出版された『大地』の三部作が評価され、1938年にノーベル文学賞を受賞している。

ぱっと出て、さっと賞をもらったという感じ。


スメドレーはこの『大地』を読んでいたかどうかわからないけれど、これだけ有名になっていたので、中国の農民の生活をきめ細かく描いた作品ということは知っていただろう。

バックは両親がキリスト教の宣教師で幼い頃から中国で育ち、英語と中国語のバイリンガルで、中国の名前を持ち自分は中国人と思っていたぐらい中国社会に溶け込んでいた人だった。


私は中学生ぐらいの頃に彼女の三部作は読んでいて好きな作品だったので、『偉大なる道』を読んでいるときこの『大地』を想い出すことが何度もあった。

フィクションだけれど、バックが描く中国の貧しい農民、そこからのし上がっていく一族の個々の姿が『偉大なる道』に出てくる人物たちと重なって、中国人でない作家がここまで創作して描けれることに感心しながら振り返れたものだった。


スメドレーの『偉大なる道』はフィクションではない。

実在の人物からいい話も答えにくい話も時には沈黙という形で直接聞きとりしているだけに迫力やためらいなどが伝わり、ノンフィクションならではの読み応えがある。


スメドレーが朱徳に聞き取りを申し出た理由の1つは中国の農民がかつて外部の世界に向かって口を開いたことがないという確信だった。

フィクションではなくて、直接の聞き取りを活字にして発信したかったのでだと思う。
だから女性ならではの衣食住にわたる生活の細かいことも聞き取りできている。

このあたりバックの『大地』を少し意識していたように感じる。


エドガー・スノウというジャーナリストが同時期に延安で毛沢東に直接聞き取りをした『中国の赤い星』という本も一時期有名だったらしい。

もちろん最盛期のアジア図書館で一覧できる中国コーナーには何気なく並んでいた。


残念ながらこの本を手に取る機会がなかった。
スノウが女性だったら、読んでいた可能性は高い。

『偉大なる道』よりも、イデオロギーが強く出た作品になっているらしいとどこかで読んだことがある。

中国共産党を全世界とくにアメリカに広く好意的に紹介したことで有名な作品らしい。


スメドレーの『偉大なる道』をアメリカで出版できるように骨折ってくれたのもスノウだった。この本の価値がわかっていたのだ。

彼女は全米でマッカーシズムが吹き荒れる最中に遭遇したので、出版どころか住む家を見つけるのも困難な情況に追い込まれ、結局イギリスに向かった。


彼女が日本で出版されることを知ることなくイギリスで1950年に亡くなり、その骨は中国に埋められていることはよく知られている。
その墓石の文字は朱徳自らの揮毫によるものだ。


なおスメドレーは共産主義に共感を持っていたことは行動と主張から事実である。

経済的な援助を含めて当時のソ連の機関とある程度の接触があったと考えても不思議ではない。


有名なゾルゲ事件の関係者で戦中に死刑になった日本人ジャーナリスト尾崎秀実とは中国で愛人関係だったとどこかで読んだことがある。

尾崎秀実は日本に妻子がいる身だった。

元は兄嫁だった妻と娘に獄中から書いた手紙が『愛情はふる星のごとく』という題で出版され多くの人に読まれたらしい。

情熱的な人だ。

愛人関係か事実上夫婦だったかどうか事実は知らないが、どちらも異国で共感するものを持つジャーナリストであったことを考えると、十分ありえると個人的には思った。

スメドレーもゾルゲ事件の関連からだろうか、当然スパイ扱いされたらしく、そのことでも戦ってきた。
政府からの嫌がらせはひどかったらしい。
ゾルゲ事件については現在定説になっていることもほんとうの所はどうだろうかと私は思っている。
すっきりし過ぎている感じがする。


で、スメドレーがあの当時どんな主義を持つ人だったかなんてあまりこだわりがない。

『偉大なる道』を残した事実と彼女の見識、良心、勇気にただ感服している。



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# by far-east2040 | 2017-06-19 17:22 | 朱徳の半生

朱徳の半生記を読んで

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ブログの過去記事を見ると、昨年10月からアメリカ人女性アグネス・スメドレーが聞き取り編集した朱徳の半生記『偉大なる道』を丁寧に読み始めたことになる。


こんなに本の中の登場人物に愛着を持って読みすすめたことも珍しい。
勢いで読んだ一回目、少し余裕を持って読んだ2回目よりもはるかに多くの知識、発見、再認識を得たし、現代の国内情勢を考える目も少し養われた感じがする。
とくにアメリカの対アジア政策のことは考えさせられた。


ブログに載せていくために中国独特の漢字を調べるために漢和辞典はよくお世話になった。

Wikipediaは中身は問題があると思っているが、歴史上の人物の名前、生年没年や土地名を調べたりするにはとても便利だった。


9ヶ月間、想起しては消えていった数々のことを全て書くことは多すぎて不可能だ。


印象に残っているシーンは延安で初めてスメドレーが伝説の人物朱徳と会ったときに始まってたくさんあり、その都度の感動の余韻がこんな作業を続けさせたのだと思っている。


貧農の三男だった朱徳が一族の期待を背負って辮髪姿で家塾に通い始めたところ。


青年に達して、祖国を救うために軍人を目指した朱徳が四川省を脱出して危険な河をくだり雲南省へ入ったところ。


蔡鍔将軍との出会いと別れ、そしてまるで忠臣蔵を思わせるような辛亥革命でのクライマックスシーン。


敬愛する人たちの死や挫折などによって阿片を吸い始め、気が向けば女をそばにおくという生活から決意して、フランス留学を実現させていくところ。


上海での孫逸仙との会談。


ベルリンで周恩来と出会い、共産党入党を果たしたところ。


南昌蜂起の準備のための秘密会議に参加。

名前だけしか知らなかった毛沢東を薄暗い部屋で眺めたこと。


南昌蜂起の後、敗北主義を乗り越えて毛沢東の軍隊と合流し紅軍を結成したこと。


長征中、少数民族との同盟を結んだり、太平天国の乱の兵士が全滅した揚子江の同じ場所を渡ることに成功したところ。


紅軍を結成した後は、司令官として扇の要となって指導力を発揮していったところ。


気は優しくて力持ちで、喧嘩をすれば誰にも負けない。楽天家で勉強家、読書家。真面目にコツコツ物事を進めていくタイプ。何より行動の人。農民出身なので、農民の中に自然に溶け込んでいき農民の言葉を話せて、農民からの絶対的な信頼を得ていた。

スメドレーは何度も足のつま先から頭のてっぺんまで男性的だったと表現していた。


西洋のアレキサンダー大王やカエサルやシーザーとかもっと現代に近いナポレオンなど英雄伝説は多いが、彼らの半生と同様にこの日本で知る価値のあるアジア圏の人物だと思う。

中国人で共産主義者で抗日戦争の司令官だったという三重の障壁で、もったいないほど親しむ機会を失ってきている感じがする。
朱徳は封建主義や帝国主義を否定し戦ってきたのであって、その国の人民とではない。


好き嫌いは別にして、戦前の日本もかなり絡んでいる隣国の建国苦労話でアメリカがどうしても出版させたくなかったこの本は貴重な本だと思っている。

かつてアジア図書館設立運動に関わったものとして、一般市民が東アジアの近代現代の政治的構造を知る1冊としてこの本を強く勧める。


ブログの文章はあくまでもラフスケッチのつもりで、2024年の1月に著作権が切れたら、堂々とネットにもう少しまともな文章に仕上げて残していきたい。

自分が感動した本は必ずしも他人にとってはそうとは限らないことは知っている。

でも、ひょっとしたら私のような時代のはぐれ者が出てきて、この本の魅力に気づいてくれる人が出てくるかも知れない。


なんとかその時まで健康で生きていたいと願っている。



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# by far-east2040 | 2017-06-12 09:00 | 朱徳の半生


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四川省の貧農の子だった朱徳将軍はいま六十歳になった。

11月30日、戦闘の真っ最中に、華北の人民と部隊は彼を祝福して愛情と激励の言葉を贈った。

はるかな満州の戦地から林彪の幕僚が打電してきた。


「貴下の六十歳の誕生日を祝うため、われわれは一つの新しい勝利を贈る。ただいま国民党の一個連隊、わが方に投降せり」


上海で出ている雑誌『群衆』の編集局が誕生日に間に合うように手紙を送ってきた。


「敬愛する先輩。

貴下は中国人民を敵の鉄蹄から救い出されました。

貴下は中国人民を指導して、千年の奴隷状態から自らを解放させ、衣食の道を得ることを助けました。

貴下は侵入者を中国人民の田園から追っ払う。

貴下は中国民族の偉大なる子であり、中国人民の再生の親であります……今日、貴下の六十回誕辰にあたり、われわれの胸のうちに、感謝の情は香華のごとくに燃え立ちます」


延安の朱将軍の司令部には、11月30日の朝から晩までたえまない人の流れが寄せてきた。

ひとりの女を混じえた4人の農民の一団は、彼に誕生祝いの果実入りの菓子、二本の酒、一かごの誕生祝いの麺を贈るため、20マイルも歩いてきた。

延安守備隊の兵隊たちは彼のためにサンダルと靴を作って贈り、そして司令部の前で革命家を歌いヤンコを踊った。


だが、おそらく朱徳がもっとも貴重と感じた贈り物は、共産党中央委員会からの彼の勲功を数え記した巻物ではないだろうか。

清朝の全滅、袁世凱の打倒、大革命における役割、毛沢東との協力による中国紅軍の創設、長征中の軍の指揮、そして抗日戦争における偉大な業績。この文書はこう結んであった。


「貴下は過去六十年における中国人民の偉大な解放闘争を象徴している。

貴下は抑圧された中国人民のよき子、よき兄弟である……


「国民党反動がアメリカ帝国主義とともに対日戦勝利の果実を中国人民から奪い去ろうと企てている今日、貴下と同志毛沢東はわが国とわが人民の利益をまもる闘争の先頭に立つ」


朱将軍は六十歳の誕生日に一文を発表した。

それは流浪する旅芸人の娘で名前さえないほど目立たない女だった彼の母が、八十歳で亡くなるまで農婦として働きとおした物語である。


この六十歳の誕生日の2週間後には、朱将軍はふたたび中国の山野の道を歩いていた。

胡宗南が率いる蒋介石の封鎖部隊が延安に殺到しつつあった。

敵が進出してきたときにはこの小さな街は空になっていて、敵が寸土を取るごとに血を流すことを強いられる部隊だけがあとに残っていた。


悲しげな顔で別れをいいにきた農民たちに向かって朱将軍はつげた。

「ほかへ行っているのもそう長いあいだじゃないよ」


朱将軍はそばを歩いてゆく53歳の毛沢東に話しかけた。


「私は六十年生きてきた。これからの一年一年はそれだけ儲けものだ」


こうして彼は、人類解放の偉大な道を進んでいく。

今度は、3年後に蒋介石を突きくずし世界の反動をふるえあがらせる勝利に向かって、祖国と人民を導くために。
  
                             紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋

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                                               (完)


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# by far-east2040 | 2017-06-10 15:04 | 朱徳の半生

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マーシャル将軍がアメリカへ帰って報告書を出したのは、国民党が攻撃を開始した7月22日から6ヶ月の後だったが、彼は内戦について国共双方を非難しながらも、誠実に次のようにのべていた。


「国民党反動グループは、彼らの封建的な中国支配の保持に熱心であり、……彼らが何をしてもアメリカは支持してくれると計算している」


朱将軍は後になって、マーシャルの失敗の原因はマーシャル自身というよりもアメリカ政府の政策にあったと語っていた。


アメリカの記者団が延安に飛んだ10月ごろには、蒋介石は兵力の80パーセント、253個師団のうち193個師団を内戦に動員していた。
朱将軍が記者たちに語った話しによると、1月の停戦協定がやぶれた根本の理由は、「独裁を続けようとする国民党の決意と、アメリカの蒋に対する激励と援助」であった。

国民党はヒトラー、フランコ、ヒロヒトのような専制政治を樹立しようと望んでいて、共産主義者と人民はそれをやっつけようと決意しているのだ。


国民党がふりまいている米ソ戦という風説のことにふれて、朱将軍はいった。


「そうした戦争を製造しているアメリカの反動の一団があるし、中国の反動どもは、それがすぐ起るのを望んでいる」


「だが、彼らの野心が実現されるとは思わない」と彼はつけ加えた。

「もしそうした戦争がはじまった場合には、われわれの態度は、中国人民に対する両方の側の態度いかんにかかっている……


「アメリカがとりうる、ふたつの異った政策がある。

ひとつは、中国をソヴェト同盟との友好のかけ橋にする政策であり、もうひとつは、中国を対ソ攻撃の戦場にする政策である。

前の政策はヘンリー・ウォーレス氏が主張するものであり、後の政策はアメリカの反動たちが主張するものだ。

われわれはそうした戦争の発生を阻止するであろう! 

そうしたおそるべき大惨害を心にえがくにつけて、われわれは何としても平和のために努力せざるを得ないのだ」


ところで、あの強大な国民党軍に対して人民解放軍はどれだけ持ちこたえることができるか。

この質問に朱将軍は冷ややかに微笑した。


「それは全くアメリカ反動勢力にかかっている、というのは、彼らは中国の反動を通じて、われわれに武器や弾薬を供給してくれるからだ……」


「わが国の人民や兵隊は、これが中国とアメリカの反動勢力とのはじめた戦争だということを、また、もしわれわれが負ければ、これまでに得たもののいっさいを失うことや、何百万人のものが絶滅されることを、知っている。

だから対日戦のときと同じく、全人民がわれわれを支持している……蒋に従属するものの多くも、内戦を欲していない。

だが、彼らはその命令にしたがうか、それでなければ彼と関係を断つしかない。

しかし、現在のような服従の時期はそう長くはつづかないだろう。

われわれは過去2ヶ月半のあいだに国民党の25個師団を全滅させたが、国民党は、わが軍の1個連隊さえ、全滅させることができなかった」


もし提供されたとすれば、ソビエト同盟の援助を受けるかという質問に対しては、朱将軍はこう答えた。


「今日われわれがもっとも求めている援助は、アメリカ人民からのものだ。

われわれは、アメリカの人民がその政府の不名誉な政策をやめさせることを、望んでいる。

私は衷心からいうが、われわれは、中国の独立と平和と民主主義とに同情するすべての人民、すべての国家に深く感謝するものであり、わが国の国内問題に干渉し内部闘争をかき立てるあらゆる反動勢力に反対するものである……」


その2週間後に、ひとりのアメリカ人記者が延安に飛んで、朱将軍にぶしつけな会見を申し込んだが、朱将軍もまたぶしつけな返答をした。


「わが国をアメリカに売ることによって設けている国民党の官吏や将軍や寄生虫だけが、この内戦を欲している!」


「アメリカ帝国主義は、日本帝国主義と同様に憎むべきものだ!」

彼はにがにがしげに断言した。

「アメリカ政府は、反動政府だ。

その反動勢力が、これまでに蒋介石につぎこんだ援助は30億米ドルをこえる。

これだけの金が、役人や軍閥がくすねた一部をのぞいて、すべて中国人を殺すために使われているのだ。

一年前にはトルーマン大統領の声明やマーシャル将軍の派遣に歓喜した中国人で、アメリカの兵器の犠牲にされたものが何万人といるのだ。マーシャルが和平をかたっていたあいだに、国民党とアメリカ政府とは、戦争準備をしていた」


1946年が終わりに近づくころには、華北と満州は中国人民の鮮血で彩られたが、もしひとりが前線で倒れれば、多くのものが彼に代わるというありさまだった。

人民解放軍は敵の勢力をけずり消耗させるため、大都市をすてて農村部に退いた。

国民党の士気はますます低下してゆき、いくつもの師団がそれぞれ師団ごと共産側に移りはじめるまでになった。


何千回の闘争できたえた鉄の規律をもち、死のみが絶つことのできる不屈の確信の装甲を身につけた人民解放軍は、いまや急速に最良のアメリカ兵器で武装しつつあり、彼らが遊撃戦と移動戦から正規の戦争へとすすむ時期は近づいてきている。

                             紫字はアグネス・スメドレー著 阿部知二訳『偉大なる道』より抜粋



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# by far-east2040 | 2017-06-10 13:44 | 朱徳の半生